《前回の記事と併せて御覧頂くと分かりやすいです》
古代ギリシャ時代からしばらく、哲学を根元として繋がっていた学問分野ですが、いつの間にかどんどん専門化が進み、それぞれが独自の進歩を遂げて行きました。
そして学問の基本であった「哲学」も、ある特定の学問分野のみを表すようになり、多々ある学問分野の1つになりました。教育システムの中でも必修としてのウェイトが小さくなり、高校で習う哲学は「倫理学」、それも倫理哲学史の一部を切り取ったものです。大学も、様々な学問の考え方の基礎を学ぶ教養課程よりも、専門課程や大学院教育に重点を置くようになりました。国立大学から教養学部が次々消えて行ったことは記憶に新しいです。
各学問分野の専門化が進んだ結果、それぞれは目覚ましい発展を遂げたということは間違いないでしょう。しかし何事一長一短はあります。極度に専門化した学問は、自分を客体化する視点を失ったようにも見えます。世の中全体で、その学問がどうあるべきかを問う姿勢を失い、ただひたすらに専門的なゴールのみを目指して突き進んでしまった部分も少なからずあるでしょう。
私がこのことを最初に意識したのは、高校時代です。当時はクローン技術が急速に進歩していた時代で、人間の胚のクローンの作成に成功したというニュースが大々的に流れていました。この数年後に世界初のクローン羊「ドーリー」(ドリーと表記されることもあります)が誕生します。クローン技術を巡っては、世界中で喧々諤々の議論が巻き起こっていました。
「専門化し過ぎた学問研究は、最早人間としての謙虚さを見失ってしまった」
「研究成果をあげることのみに執着した結果、超えてはいけない領域に足を踏み入れた」
私も進路を決めるために、各大学の研究について調べ出した時期だったので、興味深くこの動きを見ていました。
そしてこの一連の議論の中で、「学際」というキーワードを何度か耳にしました。全体を俯瞰出来る人材として、世の中の動きも学際的人材を必要とする風潮が強くなりつつありました。
とは言えこれは、クローン技術だけがきっかけだった訳ではないと思います。当時の背景として、高度経済成長、バブル経済、そしてバブル崩壊後の大不況の影響が生活にも忍び寄って来ていた時期で、今までの世の中のあり方を反省するような気配に満ちていたこともあったと思います。
科学の進歩が社会に与える影響を考える時に、学際的視点というものが必要になるのだと思います。