シャドーイングについて、Facebookを通していくつかのご意見を頂きました。あまりの斬新さに驚いたというものですが、日本では全く馴染みの無いものなので、私も初めはかなり驚きました。確かに利点は沢山ありますが、「そんなことして大丈夫なのか?」という疑問もありました。
実際にシャドーイングをやってみたところ、全員「シャドーイング」の一言で私の帯同を許可&スルーして下さることにも再び驚愕しました。
頂いたご意見の中に、
「こういうことが許されるというのは、アメリカでは文化人類学的なリサーチが当たり前ということを表しているのではないか?」
というものがありました。確かに、何年か前にイリノイ工科大学の先生が
「最近アメリカのメーカーでは、観察調査が出来るということで文化人類学者が幅を利かせている」
とおっしゃっていたそうです。要するに、彼等はフィールドから知見を得る技術を持っているということですが、ここにメーカーが着目したという訳です。
今日、波多先生にこれについて質問したところ、
「シャドーイングは普通にやられているよ。」
とのことです。企業でインターン中の大学生などが、社員に付いて回りながら色々見学したりするそうです。そう言われてみれば想像出来なくも無いと言うか、日本でも見たことがあるような気がします。
今回私は既に認知されているこのシステムを使って、開発のエスノグラフィックな観察をさせて頂くと言う、なんとも幸運な機会を得ることが出来ました。シャドーイングをこういう風に利用する人、もしかすると他にもいるのかも知れません。
こうして他国の初めて知る知見に驚愕し、何人かで集まって色々想像しては、ああなんじゃないかこうなんじゃないかと頭をひねっている様子は、「蘭学事始」を彷彿とさせて我ながらすこし滑稽です。そして処刑された遺体の解剖を見に行った蘭学事始の面々も、きっと私と同じように
「このチャンスを一瞬たりとも逃してはならない!すべて目に焼き付けるぞ!!」
と言う、今にも食いつきそうな心境だったのだろうと思うと、なんだかしみじみしました。





