サムさんの医用機器開発3ステップ 1

昨日は「ガイダンスコア」のミーティングの後、このブログにも既に何度か登場している”サムさん”にインタビューさせて頂きました。サムさんは前の日に韓国からアメリカに戻って来たばかりでした。時差ボケで眠そうながらも、沢山お話して下さいました。

実はサムさんというのは呼び名で、本名は サンエンソンさんと言います。

これがサムさんの机です。
IMG_20130102_125431
パソコンのモニターは、なんと観音開きでした。
私がBWHに来た初日にサムさんに初めてお会いした時、彼はこの大きなモニターに向かって、機械の設計をしていました。機械工学(医用ロボティクス)が専門です。

まずはサムさんから
「何が知りたいんですか?先にあなたの知りたいことを聞いて、それに合わせてお話しましょう。」
と聞かれたので、事前に作っておいた研究計画のパワーポイントを見て貰いました。

「英語、おかしいかも知れないけど理解出来ました?」
「英語は分かったけど、トランスレーショナル・デザイン・リサーチって言葉はおかしいと思います。トランスレーショナル・リサーチは、それでひとつの言葉だから。デザインって言葉を入れたいなら、デザイン・オブ・トランスレーショナル・リサーチにするべきです」
と、早速研究タイトルを訂正して頂きました。
ブログのタイトルもこれです。直さなければ・・・。

それからサムさんは医用機器の開発プロセスについて
「3つのステップがあるんです」
と、図を書きながら教えてくれました。

ステップ1:プレイモデル(の提案)
ここでは、開発する機器のきわめてミニマルなモデルを提案します(原理的なものと言うべきでしょうか。)ただし、この時点から既に最終形態をイメージしておきます。エンジニアだけではなく、医師と話し合って提案します。

ステップ2:ローテク・クリニカル(臨床)
ここでは、開発した機器を臨床で評価します。(ローテクと言う表現ですが、勿論臨床現場に持ち込める基準はクリアしています。)

ステップ3:アルティメット・ソリューション(最終提案)
このステップでは、ステップ2から更にブラッシュアップし、商品として耐えうるものにします。このステップは大学ではなく、メーカーが行います。

以上、( )内は私の補足説明です。各ステップの名前はサムさんの言葉をそのまま引用しました。

ステップ2と3は一度で終わる訳ではなく、何度も繰り返して行われます。つまりは何度も臨床現場に持ち込み、そこでのデータ、出来事を持ち帰ってよりよく改善して行きます。BWH(ブリガム&ウイメンズ病院)は特に、病院の中で医用機器の開発を行っているため、この開発方法を行いやすい環境にあります。

それから、ユーザ(ここでは医師と患者)の潜在的な要求をどうやって探し出すのか?という質問をしてみました。
サムさん曰く、要求を探すことは、3ステップのそれぞれで行っているそうです。
「問題を減らす方向で考えますね。問題というのは時間がかかること、正確ではないこと、流れがスムーズでないこと・・・ただ、ここでエンジニアはこれを機械の問題だと思うけど、医師は例えば看護士に問題があると考えます。」
「そうですか。医用機器は他の製品と違って、大きな方向がある程度決まっています。病気を治すこと、人の命を助けることですよね。」
「そうです。それから僕たちのように大学の中で医用機器を開発している場合、これは売ることではなくアカデミックな立場から考えます。それも他の製品と違うことかも知れません。」

さて、サムさんのお話はまだまだ続くのですが、長くなるので続きはまた次回に。
こちらがサムさんです(既に数回登場済みですが)。
IMG_20130102_125512

優しそう・・・。

カテゴリー: トランスレーショナルデザイン, 開発 | 2件のコメント

仕事はじめ

昨日で長かったクリスマス休暇も終わり、今日(1/2)から早速仕事が始まりました。
新年最初のシャドーイングは、毎週水曜日に行われている定例ミーティングでした。これは「ガイダンスコア」という波多先生の研究プロジェクトのミーティングで、メンバーがお互いの進捗状況を報告し、情報を共有します。

こちらがそのミーティングの様子です。眼鏡を掛けているのは、本ブログ初登場のプラグラマー、Laurent Chauvin。
IMG_20130102_104503

今日は今年初めてということで、メンバーそれぞれの今後1ヶ月の目標/3ヶ月の目標/1年の計画を発表しました。
何の計画か?と言えば勿論研究の到達目標についてですが、どれも基本的には論文投稿に関するものでした。

以前もブログに書いたように(詳細はこちらをご参照ください)、研究の成果として評価されるのは「論文」です。何報の論文を発表したか、その論文が他の研究でどれくらい引用されたか(どれくらい他の研究の役に立ったか)、どの学会誌に掲載されたか・・・。そして評価の高い論文が発表出来ると、その後の研究費が獲得しやすくなります。次の研究活動のための元手、すなわち活動資金ですから、論文は「研究の資本」と言えるかも知れません。一般的な「資本」が生産活動のストックでもあるように、論文もまた研究活動のストックになり得ます。高い評価を受けた論文は、しばらくその威力を発揮します。
「研究費」という流動資本を、論文という「固定資本」にいかに変えるか・・・これが研究をマネジメントする上で一番苦労もし、また面白いところでしょうか。

こちらはサムさんとピーターです。
IMG_20130102_104441
サムさんは最近、学会誌に論文が受理されました。次の研究のための「固定資本」を増やしたことになります。

他の人の発表を聞くPI波多先生、プロジェクトマネージャーのアルバ、講師の徳田先生。
IMG_20130102_112317

インターナショナルなメンバーで、今年も無事に始まりました。
個々のメンバーについては、これから少しずつブログでご紹介する予定です。とりあえず、次回予告はサムさんのお話です。

カテゴリー: マネジメント | コメントを残す

ボストンの年末年始

謹賀新年。
日本から遅れること14時間。ボストンも本日、新年を迎えました。

ボストンの大晦日は賑やかです。クリスマスは街中がシーンと厳粛な雰囲気で、人影もまばらだったのが一転。大晦日の昼くらいから、どこにこんなに隠れていたんだろう、と思うくらいの大量の人・人・人。皆かなり浮かれていて、変な帽子を被っていたり、顔に変なシールを貼っていたりペイントしていたり、ピカピカ光る変な眼鏡をかけていたり。変な着ぐるみや被り物の人もいます。「2013」を象ったサングラスをかけている人に紛れて「2005」の人もいました。そして誰彼構わず「ハッピーニューイヤー!!」と大はしゃぎ。まだ年は明けていませんが、細かいことは気にしません。あまりにも喜んではしゃいでいるので、なんだか微笑ましいを通り越して、可愛らしい感じがしました。

あちこちにある公園近辺はとくに賑やか。
こちらはアメリカ最古の公園、ボストンコモンでのパレードの様子です。

IMG_20121231_184151

暗くて分かりにくいですが、仮装した子供たちが車に乗っています。こういう車が何台も通りました。皆パフパフ鳴るラッパみたいのを持ってはしゃぎながら見物しています。

そして花火もあがりました。

IMG_20121231_190658

IMG_20121231_190942

勿体付けずに次々上がります。
変な帽子、変な仮装、車に乗ったパレード、花火・・・・ディズニーランドそのものです。お祭りの時はどこでも似たようなことをやりますが、それにしても1つ1つの雰囲気が、ものすごくディズニーディズニーしていました。ディズニーランドのあの不思議な文化(とかねてから思っていたのですが)は、アメリカのお祭り文化だったのかも知れません。

大晦日の夜8時を過ぎると、ボストンの街をつなぐ地下鉄は無料になります。書き入れ時にも関わらず、大盤振る舞いです。場所によっては7時半くらいから無料になっていました。無料になると言うのは、改札が開きっぱなしになっているということです。東京ほど人口密度が高く無いので、こんなことをしても人がごった返して収集がつかなくなることはありません。駅員さんもものすごい笑顔で「ハッピーニューイヤー!ニイハオ!」と声を掛けてくれます。

無料の地下鉄に乗って街中を移動してみました。「ガバメントセンター駅」というボストンの中心地の駅に到着すると、氷の彫刻がありました。

IMG_20121231_193434

ライトアップされて、幻想的です。座って記念撮影できるのですが、なかなか混んでいて行列が出来ていたので辞めました。この近くのフードコートで、ロブスターとローストビーフを食べました。ロブスターをはじめとしたシーフードは、海からほど近いボストンの名物料理のようです。カニやサーモンも美味しいです。緯度的には北海道と同じくらいなので、獲れる海産物も北海道と似ているようです。
もう少し頑張ればカウントダウンと新年の花火も見られたようですが、どんどん底冷えして来たので帰宅。ミシュランのビバンダム君のようなダウンを着ていても、ジワジワ忍び寄る寒さです。それでもはしゃいでいる人達の中には、半袖やミニスカートの人も沢山いました。

そして一夜明けて本日、元旦。街は再び静かです。クリスマス前から続いた長いクリスマス休暇も今日で終わり。明日からまた平常の毎日が始まります。

今年も宜しくお願い申し上げます。

カテゴリー: その他 | 1件のコメント

オープンソースの秘密

以前のブログで、波多先生達が開発している「3D Slicer」についてご紹介しました。フリーソフトなので、無料でダウンロードも出来ます(ダウンロードはこちらから。サンプル画像をスライス出来るので、楽しいですよ)。

さて、以前もご紹介したようにこの3D Slicerはオープンソースです。オープンソースと言うのは、そのソフトウェアのソースコードをweb上等で公開(オープン)しているソフトウェアのことです。ソースコードは言ってみればソフトウェアの遺伝子のようなものなので、通常は秘密にされています。これを公開してしまえば、苦労して開発したソフトウェアを、他社に簡単にコピーされてしまうからです。そこをあえて公開しているのがオープンソースです。そうすることによって、ユーザが自由にソースコードを改変・改良することが出来ます。

さてこの「3D Slicer」、元々は波多先生が大学院生時代に開発していたそうです。「3D Slicer」というストレートな名前の名付け親も波多先生です。そこにある先生が関心を持ちました(この先生については、今後またご紹介します)。その先生が「3D Slicer」をオープンソースにすることを提案し、その方針で開発を進め・・・そして現在の「3D Slicer」が生まれたそうです。そして今やすっかり、医用画像処理のオープンソースソフトウェアとしての地位を世界中で確立するに至りました。

なぜオープンソースなのか?というと、
「研究費は税金から貰っているものだから、成果を社会に還元するべきだから」
だそうです。
確かに税金を払っているということは、ある意味その研究の出資者とも言えます。出資者としては、せっかく投資した研究の成果が、なんなのかよく分からないよりは、フリーソフト・オープンソースとしてどんどん社会に還元して貰う方が、納税した甲斐があるというものです。研究者として、日頃から相当意識していないと、ついつい忘れてしまうことですが・・・。

こういう考え方には、ヒトゲノム計画におけるセレラ・ジェノミクス社の存在も影響しているようです。1990年代に、アメリカ政府が30億ドルの予算を組んで始めたヒトゲノムの解読プロジェクト。得られた研究成果はオープンなデータベース「GenBank」に上げ、世界的に共有することにしました。ところが、このプロジェクトとは別に、ベンチャー企業のセレラ・ジェノミクス社がわずか3億円の投資でヒトゲノムを解読します。この解読においてセレラ社はGenBankのデータを無償で利用しつつも、研究成果は営利目的のために公開しませんでした。
これには、これは研究の進歩を遅らせることになる、巨額の税金を投入したプロジェクトなのに、成果を一企業が独り占めするのはおかしい・・・などなど、あちこちで論争が勃発。そしてその結果「バミューダ原則」が策定され、研究成果を24時間以内に公開することで合意しました。

当時私は学生でしたが、この論争のことをはっきりと覚えています。当時として、セレラ社が一方的に悪者という扱いではありませんでした。公的な研究成果を企業が利用して利益を得ること。こういうことは、歴史的にも世界中で行われて来たことです。セレラ社は少し露骨だったと言うだけで、これを単純に「悪い」として良いのか、考えることはこれだけではないのでは無いか。と、なんとも複雑な問題提起でした。

この騒動以降、公的資金を投入した研究成果はオープンにして、社会に還元しようという動きがどんどん盛んになったそうです。オープンソースの「3D Slicer」も、こういう風潮を背景に生まれたそうです。
「なんとなくオープンソース」なのではなく、こんな深い理由があったんですね。

IMG_20121231_052651

※写真は3D Slicerで頭部のMRIサンプル画像をダウンロードし、スライスしている様子です。サンプル画像のため、当ブログ掲載上の倫理的・法的な問題はございません。

カテゴリー: システム, マネジメント, リソース, 開発 | コメントを残す

手術室に向けて

オペ室で何が起きているのか、実際の開発の様子を見せてもらう為に、私もいずれ手術室に入れて頂けることになりました。そのためには、事前に研修を受ける必要があります。その1つがCITIプログラムというe-ラーニングシステムです。(サイトは登録制ですが、トップページは全てIDなしでも閲覧可能です。)

CITIについて、このサイトから日本語紹介文を引用すると、

「医学部教員等を中心としたわが国(JUSMEC)および米国(CITI)の2つのNPO団体が協力して作成する、医学研究および医学教育のためのeラーニング・プログラムです。

医学教育の近年の動向:わが国では、2008 (平成20)年に改定された「臨床研究に関する倫理指針」(厚生労働省)を通じて、臨床研究者に対し倫理教育を受けることが義務付けられました。米国では、それに先立つ2000年10月に、National Institutes of Healthから同様の指針が出されています。

(中略)・・・今日、CITI教材利用者数は111万人を超え、政府機関・大学病院を含む米国内の大多数の施設で採用されています。最近では、米国と共同研究を行う中南米はもとより、欧州、一部のイスラム圏、仏教圏諸国、ならびに、中国でもCITIは利用され、2008年、WHOの生命倫理学教育機関として認定されています。」

自動翻訳のような文章ですが、なんとなくどんなものかお分かりになったでしょうか?
・医療を学ぶ者のためのeラーニングシステムであること
・世界のあちこちで利用されていること
・医療に携わる者としての倫理について学習出来ること
要約するとこんな感じです。
私もクリスマス休暇に入る前に、早速受けることにしました。

ログインするとこんな画面が表示されます。

IMG_20121224_141610

いくつかの単元があり、一通り解説を読んでから「クイズ」と呼ばれる問題を解いて達成度を確認します。
量が多いので、最初はどうなることかと思いました。英語でびっしり書いてあるし・・・・。最初のイントロダクションは言語が選択出来るものの、実際の学習プログラムは全て英語です。なんだか騙された気分になりつつも読み始めてみると、大学時代に「バイオエシックス(生命倫理)」の授業で聞いたことがある内容が殆どでした。既に知っている内容だったので、びっしりの英語も何とか読めます。そうでなければ相当時間がかかってしまったでしょう。インフォームド・コンセントの話、バイオエシックスの歴史、治験の話などなど。医療現場で患者や被験者の人権を尊重するためにはどうすれば良いか、ということについての実践的なルールがメインです。
ただ、何かの分野でこういうルネサンス的なことが起る時は、得てしてその前に悲惨なことが起きており、その反省からの揺り返しである場合が多いです。バイオエシックスもご多分に漏れず・・・。ナチスの人体実験や子供を被験者にした免疫の実験など、読むことが辛い単元もありました。

この他にも研究費についての単元、保険についての単元などもありました。すべて自動車教習所の試験のように、ごくごく常識的なことの再確認で、内容は「ふむふむ、なるほど・・・」と簡単に理解出来ます。でもこの「常識に照らし合わせる」のが実践では意外と難しいのでしょう。クイズは実践ベースで、「こんな場合、あなたならどうするか?」という問題も沢山ありました。

プログラムは必修科目と任意科目の二部構成になっており、とりあえず必修科目が修了すればOKが頂けます。任意科目の方は選択制です。「工学者の倫理」を選択した方の話によると、「内部告発について」なる単元があり、不正を発見した場合に取るべき行動について書いてあるそうです。

・出来るだけ告発しないで解決する方法を考える
・それでもダメそうな場合は、まずは家族に相談する
・どうしても告発しなければならない場合、貴方にふりかかるのは次のリスクデス・・・・

こんな内容らしいです。確かにその通り、ごもっともですね。こんなことは誰も教えてくれないので、なんだか先人の知恵を聞いた気分でした。
こんな具合に、途中あまりの量にへたれそうになりつつも、結構楽しく受けて無事に修了。フィールド観察に少し近付いて来ました。

カテゴリー: その他, 開発 | 3件のコメント

トランスレーショナル・デザインと医用工学

このブログをお読みの方の中には、
「そもそもトランスレーショナル・デザイン・リサーチって何なんだろう?」
という疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。「トランスレーショナル・リサーチ」ならまだしも、検索しても出てこないし、なんだかよく分からない・・・という方のために、少し解説します。

BWH(ブリガム&ウィメンズ・ホスピタル)の研究室でお世話になることになった当初、波多先生に
「医用機器開発の方法について、デザインの視点から調査させて欲しい」
とお話したところ、
「医療界にトランスレーショナル・リサーチという研究があるから、それとリンクするのではないか?」
というご意見を頂きました。実は、この時私も初めて「トランスレーショナル・リサーチ」というキーワードを頂いたのです。トランスレーショナル・リサーチとは「橋渡し研究」という意味です。基礎医学研究から得られた知見を臨床の場に応用出来るようにする研究のことです。基礎的な医学の知見は、そのままでは社会に還元出来ません。そこでそれらを、実際の薬や治療に応用する研究が必要になるのです。

例えば生肉は、そのままでは食べられません。これを加熱したり味付けしたりして、初めて美味しい食事に変わります。この料理のプロセスがトランスレーショナル・リサーチです。
料理では、他の材料を加えることもあります。当然トランスレーショナル・リサーチでも基礎的な知見と知見を組み合わせることもあります。材料を色々と加工して、生活に役立つものを生み出すのです。

さて、次に「トランスレーショナル・デザイン・リサーチ」についてですが、これは「基礎的な研究の知見を【生活における問題解決】に役立てるための橋渡し研究」のことです。というと、なんだか奇妙な印象を受けるかも知れません。そもそも基礎的な研究というのは、生活を良くするために行われているのではないのか?と。もちろん既に沢山の基礎的な研究が、生活を改善する役に立っています。しかし大半は、社会から孤立した知見や技術として、役に立つこともなく眠っているのもまた事実です(詳細は過去のブログ参照)。
この原因の1つに、順番として「こういう問題を解決しよう」という目標が先にあり、そのために必要な基礎研究や技術開発を行う、というばかりでは無いということがあります。先に基礎研究や基礎的な技術開発のみを行ってしまう、ということです。

何故でしょうか?これには多少、「基礎的な研究の方が、研究として評価されやすいから」ということが関係しているでしょう。研究成果の評価軸の1つに「インパクトファクター」というものがあり、これはその論文が社会にどれだけ影響を与えたか、というものです。インパクトファクターは、簡単に言ってしまうと「その論文が引用された数」で決まります。他の論文に多く引用されれば、それだけインパクトファクターが多くなり、研究の評価も上がります。
多くの論文に引用されるには、応用的な研究よりも基礎的な研究の方が有利です。先ほどの料理を事例に考えてみれば一目瞭然です。料理の材料でよく使用されるものは、野菜/生肉/卵/穀物/魚/牛乳などの生の物が多いです。このまま単体で食べるのは難しいものもありますが、応用が利くので色々な料理に使われます。加工された食品はそのまま食べられるか、あるいは調理されるとしてもバリエーションがありません。カレーを材料に他の料理を作ろうとすると、せいぜいカレーうどんかカレー南蛮くらいにしか使えません。
この「他の料理に使われたか?」というのが論文で言うところのインパクトファクターに相当します。カレーのような加工されたものよりも、肉や野菜のような基本的なものの方が色々な料理が作れます。ちなみに料理で言うところの水や調味料レベルになると、研究では三平方の定理やニュートン力学に相当するでしょう。インパクトファクターという評価軸を考慮すると、人参や生肉を生産した方が良いことになります。

デザイン工学の研究をしていると、基礎的な技術を開発している方からご相談を受けることがあります。開発した技術を何かに応用出来ないか?と。言ってみれば「人参を育てて収穫した。これで何を作ろうか?」というようなことです。単純にこれが悪いとか、無駄だと言うことではありません。基礎的な知見を得ることは、学問の進歩にとって必要不可欠なことです。でも折角得た知見なら、何かに応用して実社会に還元する方が良いに決まっています。こういう場合に、お肉とジャガイモとルーを足して美味しいカレーを作るのが「トランスレーショナル・デザイン・リサーチ」の役割です。
とは言えこれはまだ実験的な試みです。今回のBWHにおける医用機器開発手法の調査を機会に、「トランスレーショナル・デザイン・リサーチ」というキーワードの基で研究を進めてみることにしました。
この視点で気付いたことについて、その時その時に時系列で記述しているため、話が前後したり重複したり、分かりにくいこともあるかと思います。どこかでもう少し整理して、再度ご紹介出来たら・・・と思います。

ところでここまで、「トランスレーショナル・デザイン・リサーチ」という視点から医用機器開発の現場を観察していて、はっきりと気付いたことがあります。それは、医用機器開発は他の分野と比較して、実際の問題と技術開発が乖離していないと言うことです。先に技術だけ開発してしまった・・・ということがありません。これはBWHだけでなく、フィンランドのC社や日本の内視鏡開発でも共通したことです。
そして特に今回滞在しているBWHでは、
1実際に機器が使用される現場で
2ユーザである医師と患者双方とコミュニケーションを取り
それを基に技術開発が行われています。

この開発手法については、医用機器だけでなく他のトランスレーショナル・デザイン・リサーチにも応用出来ることと思います。

カテゴリー: トランスレーショナルデザイン | コメントを残す

デザインはメッセージ2

前回のつづき》

英文学者にしてメディア論学者のマーシャル・マクルーハンは、著書「メディア論 ー人間拡張の諸相」の中で、「メディアはメッセージある」と言いました。この言葉は様々な解釈なされていて、私も学生時代にこの言葉の意味について友達と考えました。当時はインターネットの黎明期でもあり、大学でもメディア論系の講義が増えて来た時期です。最先端の学問の話といえばメディアに関するもので、マクルーハン等は当時再認識された人の代表格でした。その結果、「メディアの持つ影響は、情報の内容だけでなくメディアの形式そのものにも拠る」という解釈    一般的にも一番有力なこの説で、私たちも全員納得した記憶があります。

具体的に「テレビ」というメディアを例に挙げると、テレビの影響力はテレビが流す「情報」だけでなく、「テレビ」というハードそのものにもあるということです。
テレビというものが世の中に登場して以来、色々なことが変わりました。テレビの登場によって、まず人々の行動が変わりました。食事時に家族で会話するよりも、全員でテレビを視聴するようになったり、家で過ごす時間の大半をテレビの前で過ごすようになったり。これはテレビが流している内容による影響ではなく、テレビというメディアのハード的な形式による影響です。そしてその行動をしているうちに、人々の思考も変化しました。どんな風に変化したのか一例を挙げると、
多くの人の思考が変わると、やがて社会全体の流れも変化します。これはテレビ自体が「メッセージ」を発信し、世の中に影響を与えたから、と考えることが出来ます。

先ほどのインターネットに関しても、まさにこのことが当てはまります。インターネットが人々に向けるメッセージは、インターネット上に散りばめられた沢山の情報だけではありません。「インターネット」というものが登場し、人々の行動を変えて行く上で思考や社会の風潮にまで影響を及ぼしたこと、その結果の現代。こういうものが全てインターネットのメッセージと言うことになります。

インターネットのメッセージについて考えてみましょう。
インターネットが普及してからの行動の変化としては、簡単に、世界中の情報ネットワークにアクセス出来るようになったということ。いつどこの誰とでも連絡が取れるようになったこと。世界中の情報を一瞬で収集出来るようになったこと。これによって個人の行動範囲や意識は確実に広くなりました。情報収集や発信の時間も節約出来るようになりました。近年、日本の大学でも国際化の風潮が強く見られるようになったのは、他国とのコミュニケーションが「物理的に」格段に取りやすくなったこともあると思います。「ガラパゴスニッポン」と揶揄されていた日本も、ついに真の開国の時が訪れたのかもしれません。
勿論インターネットはこれ以外にも沢山のメッセージを内包しています。他のメッセージについては私が浅慮の末に今更言及しなくても、既に沢山の優れた分析がなされているのでそちらをご参考下さい。

これはメディアのみならず、全ての人工物に当てはまることです。元々は1つの製品であったりインフラ、サービスであったものが、人間の行動に影響し、思考にも影響し、その結果社会のあり方を変化させて行くこと。何かをデザインするということは、それほど大きな影響力を持つと言うことなのかも知れません。

ところで、何かを世の中に提案する前に、それがどんな影響力を持つのかを正確に予想することは困難です。例えば自動車の普及が社会をどう変えるか、これを事前に正確に言い当てることは出来なかったでしょう。何故なら、自動車が単体で世の中に存在する訳ではないからです。他にも様々な製品やインフラ・サービスが、次々と生み出されては消えて行く中で、自動車もこうした他のものからの影響を受け、社会的な役割を変化させています。これがどうなるかを予想することは不可能ですし(それはまるで天気予報で雲の動きを全て正確に予想するようなものでしょう)、仮に予想出来たとしても、あまり意味は無いのかも知れません。
ただ、何かをデザインして世の中に提案するということは、いずれ世の中に大きな影響を与えることだということには、意識的になる必要があると思います。最低でも、あからさまに反社会的なものは提案するべきでは無い、ということは確実なことです。

カテゴリー: その他 | 1件のコメント

デザインはメッセージ1

今週は、日本から知り合いの家族がボストンに遊びに来ています。お母さんが私の勤務先の事務の方で、高校生の息子さんがアメリカ留学に興味があるということで、2人で大学が密集するボストンを見に来ました。私もクリスマス休暇を頂いているので、日中はあちこち一緒に見に行っています。

お母さんはこれまでにも数回海外旅行に行ったことがあるそうですが、今回の旅は今までよりも言葉や勝手が分からないらしく、
「海外ってこんなに何も分からないものだったっけ?パソコンも無いから何も調べられないし。」
と、かなり困惑されている様子でした。
今回、この二人はパソコンを持って来ていないだけではなく、旅行前に日本から申し込んだレンタル携帯電話もなかなか受け取れず、しばらくは電話も無いまますごしていました。iPhoneは持っているもののwifiが入る場所がなかなか見つからず、情報収集のために持っているのは旅行ガイドブックと和英辞書のみ。思うように情報が得られない不便さを痛感されていました。

かつてインターネットも携帯電話もスマートフォンも無かった頃は、日常的に知りたいことをすぐに知ることは出来ませんでした。仮にいつも辞書を持ち歩いていたとしても。辞書は    それが電子辞書だったとしても、得られる情報の量・形式にある程度の制限があります。所謂「辞書的な」事象の定義であるか、または辞典的な説明であるか。それらが文字または図、写真で示されています。事象をきちんと解説するのが辞書の役割ですから、仕方のないことですが。
その点インターネット上の情報は、信頼性の面では辞書には劣るものの、定義から解説、そして口コミまで、表示形式は文字、写真、イラスト、CG、動画、音声などなど多種多様になんでもあります。そしてこれらは、辞書に印刷された情報のようにハードと一体化した固定のものではなく、次々更新される流動的なものです。

私個人のことを考えても、いつの間にか「欲しい情報を直ぐに取得する」ということが当たり前になっています。これがいつ頃からかと言えば、auの携帯電話からもHTMLのサイトが閲覧出来るようになった頃からですから、ここ4−5年ほどでしょうか。それまでは、私が利用しているauの携帯電話はからは「ezweb」というau独自の閉じたネットにしか接続出来ませんでした。取得出来る情報もezweb向けに作られたものだけだったため、さほど便利なものでもなく、大して利用しませんでした。
これがある時気付いたら、普通にHTMLのサイトも見られるようになっていて、この辺りからいつでもどこでもどんどんネットに接続するようになりました。わざわざパソコンの前に座る必要もなくなったからです。今はちょっと知りたいことがあればネットで検索します。本当にちょっとした疑問でも、すかさずその場で調べることが当たり前になっています。

こうなって来ると「情報取得はネットに頼る」というのが当たり前になってしまって、それまでは自分で頑張って収集していた情報さえネットで調べれば良いや・・・となってしまいました。
例えば、知らない道を歩く時。以前なら五感をフルに使って色々な情報を収集し、空間認知をしたり状況把握をしたり、今後のために道を記憶したりしていたものです。が、今は
「迷ったら、ネットで地図かナビ見れば良いや・・・」
と全く意識を研ぎすませていません。他にも同様なことは沢山あります。

しかもネットでその都度情報を検索出来るということに頼り始めると、情報を記憶することもしなくなって行きます。例えば知り合った人のプロフィール。これさえもごく最近では「フェイスブックでその都度見れば良いか」とのんびり構えている自分に気付き、我ながら少々驚愕しました。
もしもこの状態で、ネットに一切つながらない環境に行ったら、私もきっと
「こんなに分からないことばかりなのか・・・」
と驚くでしょう。

誰かとの連絡についても似たようなことが起っています。いつでもどこでも簡単に、EメールやSNS、スカイプなどであっという間に相手と連絡が取れるため、これが出来なくなるとなんだかものすごく不便のように感じてしまいます。今更ですが。

DSC_0954
つづく

カテゴリー: その他 | 1件のコメント

デザインのための観察

デザインを「生活における問題を発見し、それを解決するための創造的思考作業およびその結果」と定義した場合、

・問題を発見することがデザインの第一歩として重要であること
・問題とはまだ満たされていない要求であること
・フィールドを実際に見て問題(要求)発見を行うことが必要であること

とここまでに述べて来ました。
この問題発見のためのフィールド観察ですが、HONDA・カブのコンセプトの基になった問題は、「開発者が設計段階で意図したことと、実際の使用にズレがあったために発見された」ということを、こちらのブログに書きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このような事例は他にもあります。
サントリーの清涼飲料水、DAKARAは、当初は新しいスポーツドリンクを作ろうという企画の基に進められていました。ただどうしても、既存のスポーツドリンクに競合して勝てそうな商品コンセプトが作れませんでした。ご存知のようにスポーツドリンクは、大塚製薬ポカリスエットとコカコーラ社・アクエリアスが、市場をほぼ独占しています。ここに食い込むのは至難の技です。窮地に立たされたDAKARAの開発チームは、実際にスポーツドリンクが消費される現場を観察することにしました。フィールドはコンビニエンスストアです。

しばらく観察した結果、彼等はあることに気付きます。ポカリスエットやアクエリアスは、スポーツドリンクにも関わらず、スポーツマンにばかり買われている訳ではありませんでした。どちらかというと所謂コンビニ弁当と一緒に買われていました。そこで消費者を対象に、何故コンビニ弁当と一緒にスポーツドリンクを飲むのかを聞いてみたところ、
「コンビニ弁当は脂分が多く栄養が偏っていそうなので、スポーツドリンクで栄養バランスを整えたいから」
という回答が得られたそうです。

そこで彼等は新しい清涼飲料水のコンセプトを打ち出します。それはスポーツ時の水分補給ではなく、「余分なものを排出し、身体の栄養バランスを整える清涼飲料水」でした。キャッチコピーもデザイン・コンセプトを端的に表現した「カラダバランス飲料」。パッケージもそれまでのスポーツドリンクが青を基調としていたのに対して、保健室をイメージした白地に赤いハートを強調しました。CMは小便小僧がボソボソ会話をしながら、余分な物を排出するシュールなシリーズです。

この新しいコンセプトの飲料水は売れに売れ、あっという間に清涼飲料水市場で国内トップに躍進しました。この後、似たような後続商品んが次々発売されたことも、いかにDAKARAのコンセプトが斬新で鋭いものだったかを物語っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

DAKARAのコンセプトが生まれた背景にも、スポーツドリンクの消費現場を観察し、開発者が設計段階で意図したこと(この場合は「スポーツ時の水分補給」)と、実際の使用(この場合は「食事時に体の栄養バランスを整える」)にズレがあったことがあります。
要求があるのに、それに対応する既存品がないため、仕方なく他の物で代用している・・・という状況を観察で発見した事例です。

これらは医用機器ではないですが、「問題が発見される方法」の一例が分かるエピソードです。

カテゴリー: トランスレーショナルデザイン | コメントを残す

ボストンの馬々

毎日通る道に、大きな馬の像があります。

IMG_20121224_151726
こちらがその馬の像。
パカッと口を開けて佇むさまは阿形のようです。少し離れたところにもう一頭同じ像がありますが、こちらは吽形のように口を閉じてはいません。写真だと分かりにくいですが、かなり大きい上に高い台に乗っているので(像と言うのは得てして台に乗っていますが)、インパクトがあります。

先日、この馬の下を通って大きな通りに歩いて来たら、突然本物の馬が登場しました。

IMG_20121224_151419
観光用の馬車のようです。
喜んで近寄った子供達をブルンッ!!と一喝。私も子供と一緒にいなされました。

ふと思えばHONDAのカブが果たしている役割も、ずっと遡ると元々は馬がしていたことです。

遠い遠い昔、長距離を移動する手段が馬や馬車しかありませんでした。日本には明治時代まで馬車も無く、移動はもっぱら籠か徒歩。戦争や耕作、荷物の運搬には馬が使われることもありました。馬のは移動のサポートだけでなく、人間の仕事のサポートもしていた訳ですね。
馬は生き物ですから、当然餌を用意しなければなりません。病気にも気を付けなければいけないですし、扱いやすさも馬によって千差万別、個体差があります。そしてどんな馬でもしばらく歩くと疲れてしまいます。人間が馬に長時間乗って移動するのも疲れます。
日本に馬車が発達しなかった理由は、はっきり分からないそうです。色々な説が唱えられている中の1つに、日本では長らく馬の去勢手術が出来なかったことがあるそうです。去勢されていない馬は暴れのたくり手に負えません。いなされただけでも怖じ気づいてしまったのに、暴れ馬なんて近付くことすらできません。
扱いには手がかかるけれど、馬は人間に取って有益な家畜には違いありませんでした。「馬力」という言葉があるように、馬は力持ちですし、足も速くて頭も良い。飼い馴らせば人間に従順でよく働きます。

自動二輪車や自動車は、馬の良いところを持ちながらも欠点を取り除いたものです。カブは「仕事用の原付バイク」という斬新なコンセプトと、それを実現させる技術力で大ヒットしました。でも馬が発展して自動車になったと考えると、もともと馬は仕事のサポートをしていたのですから、「仕事用のバイク」というのは作られるべくして作られたのかも知れません。

IMG_0149

カテゴリー: トランスレーショナルデザイン | コメントを残す